【「坐禅」とは究極の健康法である 〔達磨(ダルマ)を論拠として〕】
まず坐禅とは、決して我慢強さや頑張りを育てる方法ではありません。禅のお経には「坐禅は乃ち安楽の法門なり」という文言があります。安らかさ心地よさに導かれながら真の健康を育てていく究極の方法。それが坐禅です。
禅語でもあることわざに「七転八起」があります。これは何度失敗してもくじけず、立ち上がって挑戦し続けることの例えとして知られている言葉です。この言葉は、倒しても揺れながら戻る玩具である、起き上がり小法師の「ダルマさん」がモデルだと言われています。
「ダルマさん」とは、達磨大師の坐禅姿を模した置物です。達磨大師とは6世紀にインドから中国に禅の教えを伝えられた方であり、禅宗の初祖です。達磨大師は九年間坐禅を組んで修行をされ、悟りに至ったと言われています。この言葉は禅語では「面壁九年」、一つのことに忍耐強く専念して、やり遂げることの例えとして尊ばれています。
一般に「面壁九年」のイメージは、九年も頑張って苦しい坐禅の果てに悟りに至ったというイメージかもしれません。しかし、本来の意味はその正反対です。
本来坐禅は「安楽の法門」です。その論拠からすれば、坐禅とは苦行ではなく安らかで楽なものです。であるならば達磨大師の坐禅三昧である九年も、坐禅により仏法が体感的・知的に深まるにつれ、苦が増していくのではなく、より心地よく安らかで楽な境地に進んでいったのだといえます。その果てが「悟り」なのです。
言い伝えによると、達磨大師は40年の修行の末、67年間インド中をくまなく歩いて仏法の智慧を伝え続けました。そして当時インドで当時六つあった宗派本山に一つずつ赴き、人々を本質的幸福に向かわしむための、仏法的真実の教えの大論争を行い全て破り統一しました。そして100歳を越えてから中国に真実の仏法を伝えるべく誓願しインドから中国に渡り、120歳で中国に到着しました。
そして中国で初めに赴いたところが、梁の武帝が治める都「健康」(後の南京)です。
その後少林寺に赴き「面壁九年」坐禅を経て、150歳まで生きたと言われています。
達磨大師の長命、行動力やバイタリティを支えたものは「健康」であり、健康法の基礎が「坐禅」です。中国で初めに赴いた「健康」という地は、きっとそれを象徴し必然なのではないかと思われます。
このように坐禅とは、自らの健康を築くものであり、健康を築く要素が満載なのです。また「坐禅」の本質的観点とは、「健康」の本質的観点と同意であるといえるのです。
坐禅の観点は「ダルマさん」の玩具の動きに例えられます。
「ダルマさん」の動きは、元来転んで起きあがるのではありません。
一旦倒れても、倒れたまま留まるのでなく揺れ、軸を見据えながら地面の状態において坐りのよい位置で静止するということ。
そこには「転ぶ」も「起きる」もありません。
「七転八起」という言葉は、仏法的数学思考からいえば、七や八の数字を仏法「無」の教えとして超越し「多数」とすることで、「転」も「起」も意味をなさなくなる。
例えていうならば四角形が多角形となり、やがて円になるようなもの。
角がなく方向性が定まることのない、軸がありながらも自由で解放された起き上がり小法師でありつづけること。
人間においてその観点を見据えた実践法や思考が「坐禅」であり、禅的生き方の基礎なのです。
禅的生き方の結果であり、実践への指標は
○ゆるまった身体
○やわらかな心
○明晰な頭脳
○沸き上がる元気
これが禅的健康の観点です。
身心堂@zafuの禅セラピーは、坐禅における意識や実践作法を、仏法や禅・東西医学・哲学・無我のマインドフルネスなどを丁寧に分析し、日常に生かす健康法として構築したセラピー(動的瞑想法・運動療法)です。
日常的に実践していただくことで、その場のリラックスや頭脳向上を築くことはもちろん、禅における生きる安楽のベースを築いていきます。
皆さんも禅セラピーを学ぶことで、
達磨に習い、いつまでも健康で生き生きとした人生を送りましょう。
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